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– ご挨拶 –

室町の工人達によって拓かれた幽玄の世界

 我が国が世界に誇ることができる芸術は、何といっても歌舞伎、浮世絵そして能の3部門です。私がその3部門の内の一つ、能に用いられる能面を打ち始めてから約三十年。実は未だに満足の行く作品が殆んどないといった方がよいかも知れません。
 単なる仮面と思いきやその表情の難しさは例えようもありません。ただ単にきれいにできているだけでなく、刻々と変化してゆく感情の起伏をも表現しなければならないからです。

 能・狂言のルーツを辿れば、古代の中国(唐)に遡ります。幾多の歴史的な紆余曲折を経て、現在見られる能の形に発展させたのが観阿弥、世阿弥父子と言われています。その流派、観世の後、金春、宝生、金剛、喜多等の各流派が派生し、全国各地の能舞台を賑わして行きます。それに用いられる仮面も能と共に室町に至り完成をみるのですが、能そのものがその後江戸時代の武家社会においては、それをたしなむ大名たちにより相互行われる式学となったため、いつのまにか庶民からかけはなれていったようです。今私達数少ない面打ちが室町の立派な工人達の後を追いその古面を写すことにより、その復活を試みているわけです。

 今般私が学んだ能面の一端を文明の利器、インターネットを通して発表させて頂く機会を得ましたことを大変嬉しく思います。

                                   瀧田琇水

– 私と能面 –

 仮面は日本だけでなく世界中の原始社会を始めとして、アフリカの奥地や小さな島々等にも存在しています。しかし、そのほとんどが精霊又は祖霊の化身(アニミズム)の象徴であるものが多く、我が国の仮面(能面)のように体系化され、演劇や舞踊と密接な結びつきを持ち、高度な芸術性にまで高められ神格化されているものは、他に類例を見ません。
 最近つくづく思うのは、この能、及び能面については、日本人よりむしろ、海外の人たちの方がより強い関心を示し勉強しているように思います。

 私が打った能面(小面)を、ドイツの国立音楽大学の教授で、世界的チェロの奏者であるナイニンガー教授にお譲りした時のお話です。

 私の娘婿がドイツ留学で渡独した際(現在もドイツで生活)、当大学の大学院でお世話になったのがこのナイニンガー教授でした。ナイニンガー教授の奥様は舞踊の研究家で、日本の歌舞伎に詳しく、その関連で能も勉強しておられ、日本の能面が是非欲しいということでしたので、私の小面一面をお譲りしたのです。
 当時、ナイニンガー教授が「妻は世界中の美術品を集めているコレクターだが、『あなたから頂いた能面はその中でも最も素晴らしく、ナンバーワン』と友人に自慢しています」と話してくれました。
 数年後、私がドイツに訪問した折、娘夫婦に誘われナイニンガー教授のお宅に行く機会がありました。お宅には多くの美術品が飾られていたのですが、教授の前言を裏付けるかのように、私の小面が最も目立つ場所に掛けてありました。ナイニンガー教授が話してくれたことは、単なる社交儀礼でなく、本心からの言葉だったのだと感じました。
 能面は、私たちの遠い祖先が遺してくれた日本の世界に誇れる文化遺産です。その貴重な遺産を、受け継いだ我々が守り、未来へと繋いでいきたいと考えております。


                                  瀧田琇水



– 瀧田琇水プロフィール –

  • 昭和4年   
      栃木県生まれ
  • 昭和33年   
      日本大学芸術学部芸術学科(彫刻専攻)卒
  • 昭和35年〜64年 
      専修大学附属高等学校勤務
  • 昭和32年   
      新制作協会公募展初出品
      新作家賞受賞 会友になる
      以来50年頃迄同展出品
  • 昭和50年より
      小倉宗衛氏に師事、能面製作を始める
  • 昭和51年   
      文化書道協会 師範合格
  • 昭和54年   
      遼雲社書心会 書道師範合格
  • 昭和54年   
      日本民謡協会 全国大会出場 第四位入賞
  • 昭和54〜57年 
      日本芸術家協会連合展出品
  • 平成2年   
      全日本吟剣詩舞連盟全国大会 一般二部に出場 優勝
  • 平成2年〜6年 
      小倉宗衛一門会展出品(多摩そごうギャラリー)
  • 平成8年〜11年 
      創美会総合展出品
  • 平成12年   
      創美会解散 面匠会発足と同時に理事長就任
  • 平成12年〜   
      面匠会の活動をメインに能面制作に打ち込む
  • 平成23年12月   
      ホームページ「能面作家 瀧田琇水」を開設